本来なら知れ渡っているべきだったのでしょうが、1984年以前には、RUSTYなどを聞いたことのある人は誰もいませんでした。当時ラスティ・プレイゼンドーファーはCANYON Brandの下、オッキーやショーン・トムソンなど世界のトップ16に入るサーファーのうちの10人のサーフボードをシェープしていました。あるとき元世界チャンピオンのピーター・タウンゼンドがラスティー自身で独自のレーベルを立ち上げたらどうかと意見するまで、彼はシンプル、かつ力強いRUSTYを自分で作ることなど思ってみたこともありませんでした。世界中の人気シェーパーが自分のレーベルをもっていたこともあり、ラスティはピーター・タウンゼントのいうことにも一理あると考えました。残りの話は、このブランドの歴史そのものです。
現在RUSTYのサインは世界中でもっとも知名度の高いパワフルなサーフィンのしるしの一つです。4千万を越す衣料品販売高を誇る一方で、年間15,000のサーフボード生産量を常に達成するRusty Internationalは現代のサーフ文化の代表的存在です。しかしながら事業の大きさにもかかわらず、ラスティは信じられないほど草の根主義に基づいたブランドで、断固としてその根源がカスタム、ハンドシェープのサーフボードにあることをみんなに思い出させてくれます。
ラスティは、かれの作品がサーフボード業界のメルセデスベンツと評されるようになったのは、徹底したコミュニケーションとライダーからのフィードバックの賜物だと言います。そしてさらに重要なことには彼のこのアプローチと評判が、Rusty Internationalに革新的試みを追求する機会を与えました。伝統的なブランクスから、SURFCAD(コンピューター制御シェーピングマシン)、TUFLITE、Aviso、S-coreへ。ラスティと世界トップクラスの彼のシェーパーたちは、サーフボードデザインの進化を飛躍的に加速させました。そしてその結果が一人ひとりのサーファーのニーズに応えて1000分の1インチまで精密に作り上げられたカスタムサーフボードを首尾一貫して提供できる体制です。
1984年からは随分時間がたちましたが、サーフィンをとことんまで追及するという当時の姿勢はそのまま変わりません。