創業者の三口省賢がサーフィンに出会ったのは19歳の冬、観光ツアーで初めてハワイへ行った時の事です。ワイキキでロングボードを借りての初めてのサーフィン、こんな面白いスポーツは他にないなと感じて帰国、週末は毎週のように四国、伊勢へ友人達と出かけるようになり、当時のサーファーは冬にはハワイへ行くのが当たり前みたいなところがあり怖さも知らずにハワイへ通っていました。そんな事を毎年,、繰り返しているうちにもっとサーフィンできないものか、サーフィンの仕事につけないものかなどと考えるようになり、小さなチャンスと周りの人たちの協力により大阪市内で小さなサーフショップのオーナーに。
また、オフザウォ−ルは常に海外と太いパイプで結ばれており、83年にはハーレーサーフボード、85年からはラスティサーフボードなどを輸入、カリフォルニアからは常にホットな情報が入ってくるようになりました。2003年にはサーフクロージング専門店オフザウォールプラスをオープン。2004年からはオーストラリアのサーフブランド『サントシャ』の日本総代理店となる。
2010年からはSUP(スタンドアップパドルボード)を本格的に展開、オープンして以来30数年がたち、多くの人たちの協力とスタッフたちの努力により現在に至っています。
2010年 SUP事業展開
SUP(スタンドアップパドルボード)販売が本格的に始まり、SUPサーフィンを始め、クルージングからレースに至るまで、ブランドもラスティ、スターボード、リビエラ、サワルナ、ビック、ボードワークスを取扱始めました。2016年には全日本SUP選手権 カフナクラスで初優勝。 |
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2008年1月 ラスティがシェーパーオブザイヤーに
SURFING MAGAZINE誌(USA)2008年1月号でラスティがシェーパーオブザイヤーに選ばれ、名実共に世界で一番のサーフボードシェーパーになりました。その年はたくさんのサーフボード作りにチャレンジした年と言えるでしょう。 |
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2007年2月 オフザウォール創業 30周年
オフザウォール創業30周年パーティを盛大に行われる。創業者の三口 省賢が全日本サーフィン選手権で初優勝。 |
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2006年4月 ラスティ スペシャルエディション 販売開始
SALOMON社が開発したS-COREボードとの業務提携、SURFTECH社のTUFLITEボード、そして最強の強度を持つAVISO社との業務提携、新しい商品開発、ボード開発に常に取組み中のラスティサーフボードです。 |
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2004年サントシャサーフボード日本代理店
世界同時発売のSANTOSHA Surfboardsは創業者 Mick Buttonの意見を忠実に再現、より高い品質でありながら時代にあったサーフボードに仕上げられアメリカ、オーストラリアなどで同時発売!商品開発にはオーストラリアはもとよりアメリカ、ハワイ、インドネシアのライダー達も参加! |
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2003年オフザウォール大阪店リニューアル
2階に本社を置きRUSTY Surfboards・Wetsuits、Santosha Surfboardsの卸販売に力を注ぐ傍ら、1階小売部門ではリペア専門工場やサーフスケート販売などで横のり業界に一石を投じる! |
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2003年ラスティウエットスーツ製造販売開始
本社 ?オフザウォール インターナショナルではラスティとライセンス契約で日本国内でRUSYT WetSuitsの製造販売がスタート。当時、世界で初めての?サーフボード、ウエットスーツ、クロージングがラスティブランドで実現、CJ ホブグットのような世界チャンピオンまで生み出す。 |
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2003年オフザウォールプラスオープン
コンセプトショップ オフザウォール プラスはハーレークロージングなどの流行に敏感なウェアーをメインにオープン。 |
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2001年HIC大阪店オープン
Eric Arakawaのつながりから日本国内2号店のHIC専門店を大阪にオープン、Ericをはじめ多くのライダーがハワイやアメリカから来日。
その年 有限会社 オフザウォール インターナショナルに社名変更。 |
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1995年オフザウォールボーディングスポーツ店オープン
スノーボード専門店としてオープンしたボーディングスポーツは多くのプロアマ選手をサポートし、スノーボード業界に一大ムーブメントをおこす。 |
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1988年スノーボード販売開始
日本国内ではいち早く スノーボードの販売を開始。特に関西地方では早い展開でスノーボードの販売を始めていた。 |
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1988年サントシャサーフボード輸入販売
Mick ButtonシェープのSantoshaサーフボード輸入販売開始!その後MickはRUSTY Australiaのメーンシェーパーとして活躍。 |
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1986年オフザウォール大阪店 リニューアルオープン
1階は店舗、2階はシェープルームを作り 毎年 RUSTYらがシェープで来日、オーストラリアからはMick Button、ニュージーランドからはHamish Grahamらが来日している。
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1985年ラスティサーフボード輸入販売
Bob HurleyがシェープをやめてBillabongクロージングを販売することになり紹介してくれたのがRUSTY!現在でも活躍中のOCCYがBillabongとRUSTYのロゴをつけたボードでアメリカ 西海岸のコンテストで優勝した事はあまりにも有名!?その頃 ASPトップ32人中 半数以上のプロがRUSTYサーフボードの愛用者、日本のプロたちもRUSTYにカスタムボードをオーダーしていた80年代。 |
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1983年ハーレーサーフボード輸入販売
単身アメリカへ行った時に知り合ったBob HurleyはHurleyサーフボードのシェーパーとして活躍、日本にもシェープのために来日した事のある親日家、当時のワールドチャンピオン ラビット バッソロミューも彼のシェープするボードを愛用。その後ビラボンUSAの社長を経て 現在はHurley Internationalの社長に就任、現在も深い交流がある。 |
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1982年オフザウォール主催 プロ・アマコンテスト開催
オフザウォール主催でインターナショナルなプロコンテストを四国で5度開催、日本のトッププロはもちろん、ハワイ、オーストラリア、アメリカ、プエルトリコ、インドネシアからも多くの選手を集め賞金制のプロコンテストを行い西日本のサーフィンの普及に寄与。 |
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1981年エリックアラカワサーフボード 西日本代理店
HICのメーンシェーパーだったエリックアラカワが独立、EAボードの西日本の代理店に。 |
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1980年オフザウォール藤井寺店オープン
続いて堺店、東大阪店をオープン。関西屈指のサーフプロショップとなる。 |
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1978年オフザウォールオープン
多くの友人達の協力を得て大阪市浪速区でサーフショップををオープン。当時、ハワイで最も危険でパーフェクトなチューブ波を巻くサーフポイントポイント「オフザウォ−ル」を店名とする。 |
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1972年初サーフィンはハワイで
19歳の冬、友人と母の3人で初めてのハワイ、最初で最後の海外旅行と思っていたはずが友人の勧めでワイキキのロングボードでサーフィンをしてからはサーフィンにはまり、日本に帰ってから毎週末はサーフィンに伊勢・四国へ出かける。その後 毎冬はハワイへ仲間たちとサーフィンに通い始める事になる。 |
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1953年創業者 三口 省賢 大阪市内で誕生
旧姓 蒲谷省賢は大阪市浪速区久保吉にて蒲谷家の長男として誕生 立葉小学校、難波中学校を卒業、今宮高校定時制に入学、昼間は工場勤務、夜は勉強と忙しい日々を送り、中学から仲間とバンドを組み何度かヤマハミュージックコンテストにも出場、その後モトクロスにも熱中、又、4輪レーサーを目指し鈴鹿サーキットを走った事も、、その後サーフィンと出会いサーフィンにはまって行く。
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